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Sat2017.01.07


坂の途中の家 角田光代

坂の途中の家 角田光代
朝日新聞出版

2017.1.5


清志郎の声が頭の中でリフレイン

たまらん坂を登りきる手前の坂の途中の家を…

なので、なんとなく物悲しいけれど幸せな感じで
読み始める。
リクエストの順番待ちの間に、どんな本なのかの
予備知識はきれいさっぱり消えている。

序盤から、裁判員裁判を書きたかったための小説か…
と、思うくらい、平坦な描写が続く。
母が、途中でやめた、というのもうなずける。

と、思いながら読み進めていくうちに、
もしかして、これは『春にして君を離れ』の
パターンか?

里沙子が内省していくうちに、気づいた真実の姿…

けれど実際は、青空のような陽一郎は、静かな、おだやかな、
こちらを気遣うようなもの言いで、ずっと私をおとしめ、傷つけてきた。
私にすら、わからない方法で。里沙子はそのことだけは、今や
はっきり理解している。

やはり裁判で私はおかしくなって、陽一郎を誤解しているのだろうか。
水穂に肩入れするあまり、自分まで被害妄想にとらわれてしまったのか。

憎しみではない、愛だ。相手をおとしめ、傷つけ、そうすることで、
自分の腕から出ていかないようにする。愛しているから。それが
あの母親の、娘の愛し方だった。
それなら、陽一郎もそうなのかもしれない…(略)…陽一郎もまた、
そういう愛し方しか知らないのだ――。


そうなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。

でも、考えて考えて気づけたことで、里沙子は大丈夫だと思う。

なにより、「こんなことで」というくらい些細なことで
どんどん追い詰められてしまう心理がとてもよくわかって。
だから、周りの人たちの悪意が心底コワイ。

でも、自分もふくめ、こういう人って、普通にいる。

『春にして君を離れ』、読み返そうかな…


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Mon2016.11.28


拳の先 角田光代

拳の先 角田光代
文藝春秋

2016.11.26

『拳の先』?
おぉ これは絶対『空の拳』の続きだ
そらのこぶし?
そらのこぶし。

2013.3.10 空の拳 角田光代

そーだよね
続き、書くよね

後半、やや失速感が否めないけれど。

立花の物語がちゃんと終わってよかった。
坂本くんがちょっと寂しかったけれど。

また『空の拳』とあわせて読みたい


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Mon2014.07.14


対岸の彼女 角田光代

対岸の彼女 角田光代
文春文庫

2014.7.12

対岸の彼女
解説 森絵都


裏表紙より。

専業主婦の小夜子は、ベンチャー企業の女社長、葵にスカウトされ、
ハウスクリーニングの仕事を始めるが……。結婚する女、しない女、
子供を持つ女、持たない女、それだけのことで、なぜ女どうし、
わかりあえなくなるんだろう。多様化した現代を生きる女性の、友情と
亀裂を描く傑作長編。第132回直木賞受賞作。


… ちょっと違うな。
ベンチャー企業とかハウスクリーニング… よりちょっと古い時代の感じ^^
過去のいじめのエピソードは、胸が苦しくなる。
今の葵と会社の人たち、人物像が曖昧というか中途半端。

最後、小夜子がちゃんと前に踏み出せてよかった


気になったのが、中里典子のお掃除研修。

「…(略)… 手が荒れる洗剤なんてのは、汚れには強いけど、
手が荒れるくらいなんだから人体には害なの、それを最近は
手を抜いて強い洗剤をすぐ使うから」

「はい力を入れないで」

「やさしく円を描くようにしてごらん」

言われるまま、力をこめずスポンジで円を幾つも描き続けていると、
だんだん手元が軽くなっていくのがわかった。


そーなんだ、力を入れないで円を描くんだ
お風呂場の床に目立ち始めたかびを、かびキラーではなく、
石けんとブラシでくるくるしてみる。
… やっぱりかびキラーの方が簡単に白くなる。
でも、身体には悪いからな…


魚の子と書いてナナコ。
魚子紋って、切子ガラスでよく見る斜めの格子なんだ


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Fri2014.07.11


マザコン 角田光代

マザコン 角田光代
集英社文庫

2014.7.7

空を蹴る
雨をわたる
鳥を運ぶ
パセリと温泉
マザコン
ふたり暮らし
クライ、ベイビイ、クライ
初恋ツアー
あとがき
解説 斎藤環


斎藤環の解説を読んで「ふーむ…」
『クライ、ベイビイ、クライ』と『初恋ツアー』が
よかったかな。


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Mon2014.06.02


私のなかの彼女 角田光代

私のなかの彼女 角田光代
新潮社

2014.5.28


なんだかうまく消化できないので、他人様が語っていただこう、
と探したら、三浦しをんの書評を見つけたので。
丸々引用させていただきました。

ブック・アサヒ・コムより。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2014021600003.html

■紡いでいる「物語」がちがうから

 祖母が生前、小説を出版していたことを知った和歌は、自身も新人賞に応募し、作家として身を立てるようになる。イラストレーターである恋人の仙太郎との齟齬(そご)、作家になった和歌を認めない母親との軋轢(あつれき)。
 20年に及ぶ和歌の恋愛と仕事の変遷を、文章は臨場感をもって映しだす。心身の温度やにおいが迫ってきて、和歌が、仙太郎が、マンションの隣室の住人であるかのように、いや、私自身であるかのように思えてくる。
 この小説を読んで、「創作」という行いにひそむ壮絶さを感じ取るひともいれば、女性の生きづらさや働くことの難しさに思いを馳(は)せるひともいるだろう。
 しかし、本作はもっと普遍的で本質的な部分をも撃ち抜いていると感じる。たとえ、ものを作る仕事に就いていなくても、和歌と性別や立場がちがっても、この小説が静かに、だが実は奔流のごとく語ろうとしていることと、無縁でいられるひとはいない。
 それは、私たちは「物語」から逃れられない、ということだ。事実はひとつだが、私たちは各自にとって都合のいい「物語」を紡ぎ、それこそが「真実」だと信じる。信じたふりをして日常を送る。
 「まったく同じ言語で会話して」いても、私たちがしばしば断絶を感じるのは、紡いでいる「物語」がちがうからだ。それぞれが紡いだ異なる「物語」を通してしか、私たちは世界を認識できず、愛や希望を感じられない。この残酷、滑稽、非情な理(ことわり)を、本作は容赦なく描きだす。
 さびしさの根源を白日のもとにさらし、しかしそれでも、だれもが「物語」を紡ぎつづけるほかないのだと暗示する本作は、通じあえる一瞬の到来を願って、「物語」の檻(おり)のなかでもがき生きる私たちのために、この小説を読むあなたのために紡がれた、哀(かな)しいほどうつくしい物語なのだ。



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